2007年
09月
30日
(日)
10:11 |
編集
どうして、こんなどうでもよさそうなことを延々と書いているのかというと、多読をして、1000万語以上読んで、ここで区切りみたいなものをつけたいなーと思ったから。
いろいろ思っている事や、誤解されそうなことをきっちり書いて、気持ちの整理をして、新たな気持ちで多読の次の段階に行きたい!と強く感じているところで。(だから、あくまで個人的なもので、自分のために書いているというのもあるんです)
これまで、多読をストレスだと感じた事はないけど(本当。全くナシ。)それは自分でそう感じているだけで、周りからみたら「むさぼるように読んでいる」と言われたり、かかった費用、費やした時間など、相当なもの。
それで効果がないとか、多読はだめだとかいうことになったら、どうしてくれよう、ということになりますよねえ。
多読って、楽しめる人にはとてもいい方法だと思うけど、楽しめない人だって沢山いると思います。楽しくないから多読ができないんだーという論理もあり?
楽しめるかどうかなんて、主観的なものにすぎないんだから、お金も体力も時間も相当かかるけど、本が読めるようになる、と言ってはいけないんでしょうか?
英会話学校その他に比べたら費用は安いと思いますが、それでもタダという訳にはいかないし、効果らしい効果は500万語くらい読んだ方がはっきり分かるし、私の場合は英語が怖くなくなったのはつい最近。そして、3000万語くらいまでは読まないとだめかなーと思っているところ。
「楽しいよー」と言われると、なんだか騙されてるように感じる人もいるはず。
英語の本くらい読めるようになりたい、と切実に思っている人には、少々辛くてもどんどん量を読むように言ってあげる方がいいんじゃないかと思ったりもします。今までも、(そしてきっとこれからも)英語でみじめな思いをするくらいなら、児童書やペーパーバックがその人にとってどんなにつまらなかろうが、とにかく数百万語くらい集中して読めばそれなりに力はつくし、それくらいの苦労は、英語ができない苦痛よりは楽ではないのかな?
多読の効果云々の議論も無意味だなーと思います。
よく「100万語読めば英語ができるようになりますか?」と聞かれますが、それは「この壷を買えばしあわせになれるのか?」のと同じ論理で、答えは「その質問は意味がない」。
(さすがにこれを口に出して言った事はないですが・・・)
壷と幸せの関係は本当にうさんくさそうだけど、一般的な英語学習の場合は
問題集をする→単語を覚える→その単語が実際に使えるようになる→英語力アップ!と
いかにも関係ありそうに見えるから、多読の場合もそういう質問が出るのだと思うけど・・・
多読の効果は、これまでに読んだ本そのものだと思います。
絵本だって、実際にアメリカやイギリスの子供が読む「生の」英語が使われているんだから、それを読んだということは、実際に自分の英語力を使って理解したというのと同じ。
(だから私はどうしてもインプットというより、読む事はアウトプットの要素もあると思ってしまう)。
児童書を一冊読んだらその本を読む力はあるということで、ペーパーバックだったら、大人の本が読めたということ。
(いちおう上の問題集のこと。まず単語は覚えられない。すぐ忘れる。実際に英語のなかで出会う確率はものすごく少ない(ない方が多い)。たとえ出会って、意味を奇跡的に覚えていたとしても、その意味では通用しない、かえって理解の妨げになる、と否定しておきます)
だから、100万語読んだらどうなるのか、という質問に対しては「いままで読んだ100万語分が読めたという事ですよ」という答えしかないと思う(なんか飛んできそうだ・・・)。
でも、会話力は?リスニングは?本だけ?(と即つまらなさそうな顔をされる)と聞かれる度に私は「本が読めるようになるということは、英語力の中でそんなに意味がないことなのか?」と心の中でつぶやくのでした。
リスニング力も上がるし、書いたり喋ったりする語彙ももちろん増えるんだけど、それは「おまけ」のようなもので、人によっては全く効果がなかったりするかもしれません。
言葉なんて実際に使う事でしか使えないんだから、本当ならば英語圏に行ってどっぷり英語だけの生活をするのが一番いいと思いますが(でも、そこではみんな英語だから、英語ができるというアドバンテージはなくなるんだよね。感じるのはコンプレックスばかり。)、日本にいながら実際とほぼ近い形でできるのが唯一多読かなあと。あとポッドキャストでニュースを聞いたりもありかな。(でも何回も繰り返して聞くというのは絶対ヘン。聞き流さないと。)
あと、これはつい最近思い始めた事ですが、多読の効果として
「実戦力」というのが大きいかと。
日々新しい文章を読み続けているから、いきなり新しい事を聞いたり、目にしても即理解できる能力、というのが上がっているように感じます。
突き詰めれば語学力ってそれなのかなー。
ハワイの本屋さんで、店員とお客が話している雑談が耳に飛び込んできて、どうも甥へのプレゼントなんだけど、彼はこの作家が好きでどういう本がいいだろうか?という質問に対して、同じ作家でこういうものもあるけど、これはなぜか人気がなくって、あとは〜みたいな内容が分かった。(全部聞き取れたわけじゃないのに分かったというところがミソ。)
私は自分の本を探してたから、それを聞き取ろうとしてた訳ではなく、そういう会話が一瞬だけ耳に飛び込んできた、というのにびっくり。
前は自分に話しかけられたことも聞き返さないと分からない事がたびたびあったなあと。
ま、実戦するまで効果が分からないというのは、人には説明しにくいということには変わりない・・・。
いろいろ思っている事や、誤解されそうなことをきっちり書いて、気持ちの整理をして、新たな気持ちで多読の次の段階に行きたい!と強く感じているところで。(だから、あくまで個人的なもので、自分のために書いているというのもあるんです)
これまで、多読をストレスだと感じた事はないけど(本当。全くナシ。)それは自分でそう感じているだけで、周りからみたら「むさぼるように読んでいる」と言われたり、かかった費用、費やした時間など、相当なもの。
それで効果がないとか、多読はだめだとかいうことになったら、どうしてくれよう、ということになりますよねえ。
多読って、楽しめる人にはとてもいい方法だと思うけど、楽しめない人だって沢山いると思います。楽しくないから多読ができないんだーという論理もあり?
楽しめるかどうかなんて、主観的なものにすぎないんだから、お金も体力も時間も相当かかるけど、本が読めるようになる、と言ってはいけないんでしょうか?
英会話学校その他に比べたら費用は安いと思いますが、それでもタダという訳にはいかないし、効果らしい効果は500万語くらい読んだ方がはっきり分かるし、私の場合は英語が怖くなくなったのはつい最近。そして、3000万語くらいまでは読まないとだめかなーと思っているところ。
「楽しいよー」と言われると、なんだか騙されてるように感じる人もいるはず。
英語の本くらい読めるようになりたい、と切実に思っている人には、少々辛くてもどんどん量を読むように言ってあげる方がいいんじゃないかと思ったりもします。今までも、(そしてきっとこれからも)英語でみじめな思いをするくらいなら、児童書やペーパーバックがその人にとってどんなにつまらなかろうが、とにかく数百万語くらい集中して読めばそれなりに力はつくし、それくらいの苦労は、英語ができない苦痛よりは楽ではないのかな?
多読の効果云々の議論も無意味だなーと思います。
よく「100万語読めば英語ができるようになりますか?」と聞かれますが、それは「この壷を買えばしあわせになれるのか?」のと同じ論理で、答えは「その質問は意味がない」。
(さすがにこれを口に出して言った事はないですが・・・)
壷と幸せの関係は本当にうさんくさそうだけど、一般的な英語学習の場合は
問題集をする→単語を覚える→その単語が実際に使えるようになる→英語力アップ!と
いかにも関係ありそうに見えるから、多読の場合もそういう質問が出るのだと思うけど・・・
多読の効果は、これまでに読んだ本そのものだと思います。
絵本だって、実際にアメリカやイギリスの子供が読む「生の」英語が使われているんだから、それを読んだということは、実際に自分の英語力を使って理解したというのと同じ。
(だから私はどうしてもインプットというより、読む事はアウトプットの要素もあると思ってしまう)。
児童書を一冊読んだらその本を読む力はあるということで、ペーパーバックだったら、大人の本が読めたということ。
(いちおう上の問題集のこと。まず単語は覚えられない。すぐ忘れる。実際に英語のなかで出会う確率はものすごく少ない(ない方が多い)。たとえ出会って、意味を奇跡的に覚えていたとしても、その意味では通用しない、かえって理解の妨げになる、と否定しておきます)
だから、100万語読んだらどうなるのか、という質問に対しては「いままで読んだ100万語分が読めたという事ですよ」という答えしかないと思う(なんか飛んできそうだ・・・)。
でも、会話力は?リスニングは?本だけ?(と即つまらなさそうな顔をされる)と聞かれる度に私は「本が読めるようになるということは、英語力の中でそんなに意味がないことなのか?」と心の中でつぶやくのでした。
リスニング力も上がるし、書いたり喋ったりする語彙ももちろん増えるんだけど、それは「おまけ」のようなもので、人によっては全く効果がなかったりするかもしれません。
言葉なんて実際に使う事でしか使えないんだから、本当ならば英語圏に行ってどっぷり英語だけの生活をするのが一番いいと思いますが(でも、そこではみんな英語だから、英語ができるというアドバンテージはなくなるんだよね。感じるのはコンプレックスばかり。)、日本にいながら実際とほぼ近い形でできるのが唯一多読かなあと。あとポッドキャストでニュースを聞いたりもありかな。(でも何回も繰り返して聞くというのは絶対ヘン。聞き流さないと。)
あと、これはつい最近思い始めた事ですが、多読の効果として
「実戦力」というのが大きいかと。
日々新しい文章を読み続けているから、いきなり新しい事を聞いたり、目にしても即理解できる能力、というのが上がっているように感じます。
突き詰めれば語学力ってそれなのかなー。
ハワイの本屋さんで、店員とお客が話している雑談が耳に飛び込んできて、どうも甥へのプレゼントなんだけど、彼はこの作家が好きでどういう本がいいだろうか?という質問に対して、同じ作家でこういうものもあるけど、これはなぜか人気がなくって、あとは〜みたいな内容が分かった。(全部聞き取れたわけじゃないのに分かったというところがミソ。)
私は自分の本を探してたから、それを聞き取ろうとしてた訳ではなく、そういう会話が一瞬だけ耳に飛び込んできた、というのにびっくり。
前は自分に話しかけられたことも聞き返さないと分からない事がたびたびあったなあと。
ま、実戦するまで効果が分からないというのは、人には説明しにくいということには変わりない・・・。
2007年
09月
30日
(日)
08:57 |
編集
![]() | Harry Potter and the Prisoner of Azkaban (UK) (Paper) (3) J.K. Rowling (2000/04/01) Bloomsbury Publishing PLC この商品の詳細を見る |
読了〜
3巻いちばん好きです。話の内容が面白いし、トリックや伏線も無駄がない。正直、4巻からは長いだけで話のまとまりがなくなって来ていると思います。伏線もここに挿入しとこう、みたいなちょっとわざとらしいものも多い。この、3巻あたりが作者としてもピークだったのかな。話の筋は覚えているし〜と言いながらも肝心なところも含めけっこう忘れていて、また新鮮な気持ちでしっかり楽しめてしまったのでした。
今度こそ記憶に新しいはずの4巻、もういいだろうと思いながらも読み始めたところ・・・
(さすがに覚えているなーあと数年空けてもいいなー)
2007年
09月
30日
(日)
08:48 |
編集
![]() | 暗号解読 上巻 (1) (新潮文庫 シ 37-2) サイモン・シン (2007/06) 新潮社 この商品の詳細を見る |
これは上巻だった・・・巻末の補録を読もうとして、ない!とやっと気づいたという訳で。という訳で、まだ前半しか読んでないのですが、とにかく面白かった。本当は英語で読みたかったんだけど、まだまだ手強そう(ノンフィクション苦手)だし、暑いし(?)という訳で、今回は翻訳で。(「フェルマーの最終定理」は英語で2章読んだところで止まっています。どうにか行けそうなんだけど、とにかく疲れる。)
上巻で書かれているのは古代の暗号から、エニグマまで。
サイモン・シンは理系の本が多いのですが、文章が上手くて、素人が普通に読んだだけで理解できるように書いてあります。(書く人が書いたら書けるんですねえ。私はPC関係の説明等、そのようにしか書けないのかと思ってましたよ。)それでいて説明に妥協がないところがすばらしー。話の順番、クライマックスも計算されています。こういうのが嬉しいな。
暗号とそれを解読する人との間の壮絶な歴史が書かれているのですが、実は、これを読んで初めて暗号と鍵の関係が理解できたような気がします。
暗号技術がどれだけ発達しても、アルファベットの文字を他の文字に変換するという基本は変わらないんだなーとか(少なくともWW2までは)、言葉の根源的なものがそこにあるように感じた本でした。
早く下巻が読みたいー
2007年
09月
14日
(金)
22:50 |
編集
![]() | Harry Potter and the Prisoner of Azkaban (UK) (Paper) (3) J.K. Rowling (2000/04/01) Bloomsbury Publishing PLC この商品の詳細を見る |
読む時間がなくて、3巻、なかなか進んでいません。
この本は多読を始める前に唯一読み切った英語の本です。大昔、お金がなくて暇だらけという時期があったのですが、その時に本屋に行くと翻訳よりこのペーパーバックの方が安かった!そして「いちおう英語を勉強した身としては児童書のハリポタくらい読めなくては恥ずかしいのでは」と、もう、今思うととんでもない事を・・・ま、暇だからというのが大きかったんだろうなあ。
でも多読をしていない人の認識ってこんなもんでしょう。実際には読める人なんていないと思いますが。そういう人たちに児童書って楽しいよ〜と言っても「多読ってすごい!」とは思ってくれないのでは。せっかく唯一(私はそう思っています)効果のある方法なんだから、おお!という本をすいすい読んで、多読の威力を見せつけなくてはもったいない。ペーパーバックでも何でも読めるけど、児童書や絵本が好きだから読んでいる、というのはありだと思いますが・・・。
さてさて。ハリポタ3巻。最初の数ページは辞書を引いたらしく、書き込みが。でもすぐに面倒になって、分からない単語にあとで調べるつもりで印だけがついています。(それもすぐにやめてしまったんですけど。あとはパワーリーディングさ)さて、1200万語読んだ後、その単語たちはどうなったかというと・・・
「やっぱり分からない。」
単語テストだったら、多読前0点、1200万語読んでやっぱり0点。
他の人の体験で、「すごく分かるようになっていました!」という報告を見かけた事があるけど、私の場合は違ったみたい(あくまで単語レベルで見た場合)。
従来の英語観で測ったら「多読なんて全然意味ないじゃん!」と即決なのでしょうが、違うと思います。
前読んだ時は、前も後ろも見る余裕が全然なくて、綱渡りのように、筋を追うのがやっとでした。比喩と現実の区別が読めていなくて、なんでこの動物が突然出てきたんだ?とか、ifやwouldも理解できず、ハリーは○○するはずじゃなかったんだっけ、なんで反対のことをしてるんだ、と混乱。そういうところはばっさり切り捨てながらもなんとか最低のラインで話をつなぎつなぎ、悪い奴が誰か分かり、あのトリックはたぶんああいう仕掛け、とこれだけ分かったから読めた事にしよう・・・と読み終えたのでした。残ったのは、ああ疲れたというのと、妙な達成感・・・とこれでいいのか?という疑問。
さて今。まず疲れるというのがないです。(注!今でも読んでて疲れる本はあります。)寝る前のリラックスタイムなのでしんどい事はしないのです。でもページはけっこう進みます。そして分からないというところがない。ハリーの行動は逐一分かります。どんなところにいるのかというのも分かります。この物(や人)のちょっとした描写がこのシーンにいい雰囲気を出しているなあ、というのもばっちり。(あと、これは英語のシャレだな、翻訳家泣いてるだろうなあとか・・・)再読ということになるので、理解力が上がるのは当然としても、この歴然とした差。分からない単語は以前のままだというのに。
これが力の差ってもんだー。単語力なんて薄っぺらいものでは測れない力だー(わっはっは)。
wouldやif、haveやtake、「知らない」という人はまずいないと思うけど、多読前の私は、その単語を本当に理解していたかは、疑問です。
逆にominous, topple(ほんの一例)等、今も昔もよく分かっていない単語、そんな意味が分かるかどうかは本を読むうえではどうでも良かった・・・
結論;やっぱり単語力なんて無意味だー。
2007年
09月
03日
(月)
22:11 |
編集
ずっと気になってたけど、なかなか文章にまとまらなかったことを書いてみようと思います。
SSS多読というものに出会って、かれこれ4年半。読んだ語数は約1200万語(最近ペースが落ちている)。絵本などの簡単なレベルからたくさんの本を読み、序々にレベルをあげていくことでペーパーバックが読めるようになるという方法です。
(このレベルを上げていくというのがこの多読法の肝だと思うのですが、なかには簡単な物を沢山読むだけで、英語の力があがる的な説明がしてあるものも見かけます。たぶん言葉足らず、もしくは早とちりだと思うんですが・・・。絵本で得られる英語力は所詮絵本レベルでしょう。もちろん、そういう簡単なレベルで使われている英語は、基本中の基本であり、絶対必要なものであることには変わりありません。)
あ、そんなことが言いたい訳ではなかった・・・。
テーマその1;多読をしたら語彙が増えるのか?
昔々(高校生くらいのときか?)、英語力=知ってる単語の数と思ってた時期がありました。正確に言うと、多読を始めて500万語読むくらいまではそう思っていました。なんというか、知らない単語がなくなること、もしくはそれに近い状態になることが英語の達人なんだ、というイメージ。
でも今は・・・
「知ってる単語の数はまちがいなく増えている(事実)、でもそれが何?」
理由その1:知ってる単語も増える、でも知らない単語ももっと増える。
高い(とされている)レベルの本を読んでいくにつれ、いろんな世界がいろんな表現で語られるようになるわけです。当然です。そういう本を単語レベルで区切ってしまうと、そこはもう知らない単語だらけ。普通にさらっと行けばなんとなく理解できる文も、単語レベルで理解しようとした瞬間に、たちまち暗号と化すのは何故?
それら単語の意味をすべて吸収しようとするのは、永遠に終わらないモグラたたきをしているようなものだと最近強く思うのです。しかもモグラの数はどんどん増える。そういう砂漠でさまようかのムダな努力(語彙を増やそうとすること)はもうやめようと・・・
理由その2;そもそも語彙力なんかいるのか?
極論なのは分かっていますが、はじめて耳にした単語でも、聞いた、もしくは読んだ瞬間に理解できる、そういうことがあり得るならば、べつに前もってなにも知らなくても良い訳です。逆に知ってるはずなのに肝心なときに意味が分からない、もしくは知ってる内容だと文の意味がおかしい、ということもあり得ます。
それなのに、なんで語彙力、語彙力っていうのかなーと。
本っていうのは、暗記してしまっているものでない限り、
「初めて見る文1」「初めて見る文2」「初めて見る文3」・・・・・・「初めて見る文17598」というふうになっているはずで、知らない文だけどその場その場で理解しながら読み進めているはずです。見たことがないから、この本は読めないというのはおかしいと思うはず。
単語も同じじゃないのかなー?その場その場で理解しながら、何度も出てくる単語はその都度微妙に意味が違うからすこしづつ脳内で上書きされていって、その単語の実像に近づいていくというのが、多読の醍醐味じゃないのかなあ。もちろんその場では分からない単語も山のようにあります。でも、英語圏で育った訳ではないし、しょうがないじゃないかー分からないものは分からないんだー。なんでもかんでも思い通りにいかないのが世の中だー。
全然多読のおすすめになってませんが、でも言葉って武器にもなるし、人をそれで区別してしまうし、結構残酷なものだと思う。
私も仕事で英語を使いますが(いつもではない)、この単語一つの意味が分からなかったために(しかもここで書くのがはばかられるような簡単なレベル・・・)しかも飛ばせないキーワードだったために話が通じず、青ざめ、相手から信用できないなあといった眼差しで見られたといった苦い経験があります。(しかも一回ではない)。そりゃー、その言葉は一生忘れないし、意味だって今は完璧ですよ。でも、あの場で出てこなかったという事で、もうダメなわけです。その場で分からなきゃ、意味がない。
でも、どんな文や単語が飛び出してくるか分からない。出来る限り準備はするけれど、それでもすべて網羅するのは絶対無理。
私の場合は大事には至りませんでしたが、至る場合もあるでしょう。とくにプロの場合は致命的なミスで仕事がなくなってしまうかも。
それでもあえていうけど、分からないものはしょうがない(フォローの手段はなにもない)、その場で理解(前もって知っていても知らなくても)、それがすべて。
理由その3;単語ごとに意味なんてあるのか?
SSSの掲示板で私が名言だなあと思っているものに、意味の単位は単語でも文でもない、物語だ!というのがあります。
この単語の意味は?と言われたら全然分からない。日本語もイメージも、〜という感じ、さえも分からない。でも文のなかに出てきたら違和感なく読んでいる。とんでもなく読み違いをしているのかもしれないけど、でも読んでる本人からしたら、楽しんでストーリーを追っているわけで、すっかり理解しているつもり。多読を初めたばかりのころはわからない単語、文、と意識して飛ばしていたけど、いまはどこを理解して、どこを飛ばしているのかさっぱり分からない。よっぽど印象的な難しい言葉は別だけど。上にも書いたけど、単語ごとに意味をとって(訳すという意味ではない)、それをつなげて文を理解する的な方法をとってたら、分かるものも分からないようになりますよー、絶対に。
(でも受験の時はそれが英文理解のすべてであるかのように教えられたなあ。恐ろしいです)
というわけで、乱文ご容赦ください。
つぎのテーマ「辞書とはなに?」・・・体力がつきたので次回となりました・・・
SSS多読というものに出会って、かれこれ4年半。読んだ語数は約1200万語(最近ペースが落ちている)。絵本などの簡単なレベルからたくさんの本を読み、序々にレベルをあげていくことでペーパーバックが読めるようになるという方法です。
(このレベルを上げていくというのがこの多読法の肝だと思うのですが、なかには簡単な物を沢山読むだけで、英語の力があがる的な説明がしてあるものも見かけます。たぶん言葉足らず、もしくは早とちりだと思うんですが・・・。絵本で得られる英語力は所詮絵本レベルでしょう。もちろん、そういう簡単なレベルで使われている英語は、基本中の基本であり、絶対必要なものであることには変わりありません。)
あ、そんなことが言いたい訳ではなかった・・・。
テーマその1;多読をしたら語彙が増えるのか?
昔々(高校生くらいのときか?)、英語力=知ってる単語の数と思ってた時期がありました。正確に言うと、多読を始めて500万語読むくらいまではそう思っていました。なんというか、知らない単語がなくなること、もしくはそれに近い状態になることが英語の達人なんだ、というイメージ。
でも今は・・・
「知ってる単語の数はまちがいなく増えている(事実)、でもそれが何?」
理由その1:知ってる単語も増える、でも知らない単語ももっと増える。
高い(とされている)レベルの本を読んでいくにつれ、いろんな世界がいろんな表現で語られるようになるわけです。当然です。そういう本を単語レベルで区切ってしまうと、そこはもう知らない単語だらけ。普通にさらっと行けばなんとなく理解できる文も、単語レベルで理解しようとした瞬間に、たちまち暗号と化すのは何故?
それら単語の意味をすべて吸収しようとするのは、永遠に終わらないモグラたたきをしているようなものだと最近強く思うのです。しかもモグラの数はどんどん増える。そういう砂漠でさまようかのムダな努力(語彙を増やそうとすること)はもうやめようと・・・
理由その2;そもそも語彙力なんかいるのか?
極論なのは分かっていますが、はじめて耳にした単語でも、聞いた、もしくは読んだ瞬間に理解できる、そういうことがあり得るならば、べつに前もってなにも知らなくても良い訳です。逆に知ってるはずなのに肝心なときに意味が分からない、もしくは知ってる内容だと文の意味がおかしい、ということもあり得ます。
それなのに、なんで語彙力、語彙力っていうのかなーと。
本っていうのは、暗記してしまっているものでない限り、
「初めて見る文1」「初めて見る文2」「初めて見る文3」・・・・・・「初めて見る文17598」というふうになっているはずで、知らない文だけどその場その場で理解しながら読み進めているはずです。見たことがないから、この本は読めないというのはおかしいと思うはず。
単語も同じじゃないのかなー?その場その場で理解しながら、何度も出てくる単語はその都度微妙に意味が違うからすこしづつ脳内で上書きされていって、その単語の実像に近づいていくというのが、多読の醍醐味じゃないのかなあ。もちろんその場では分からない単語も山のようにあります。でも、英語圏で育った訳ではないし、しょうがないじゃないかー分からないものは分からないんだー。なんでもかんでも思い通りにいかないのが世の中だー。
全然多読のおすすめになってませんが、でも言葉って武器にもなるし、人をそれで区別してしまうし、結構残酷なものだと思う。
私も仕事で英語を使いますが(いつもではない)、この単語一つの意味が分からなかったために(しかもここで書くのがはばかられるような簡単なレベル・・・)しかも飛ばせないキーワードだったために話が通じず、青ざめ、相手から信用できないなあといった眼差しで見られたといった苦い経験があります。(しかも一回ではない)。そりゃー、その言葉は一生忘れないし、意味だって今は完璧ですよ。でも、あの場で出てこなかったという事で、もうダメなわけです。その場で分からなきゃ、意味がない。
でも、どんな文や単語が飛び出してくるか分からない。出来る限り準備はするけれど、それでもすべて網羅するのは絶対無理。
私の場合は大事には至りませんでしたが、至る場合もあるでしょう。とくにプロの場合は致命的なミスで仕事がなくなってしまうかも。
それでもあえていうけど、分からないものはしょうがない(フォローの手段はなにもない)、その場で理解(前もって知っていても知らなくても)、それがすべて。
理由その3;単語ごとに意味なんてあるのか?
SSSの掲示板で私が名言だなあと思っているものに、意味の単位は単語でも文でもない、物語だ!というのがあります。
この単語の意味は?と言われたら全然分からない。日本語もイメージも、〜という感じ、さえも分からない。でも文のなかに出てきたら違和感なく読んでいる。とんでもなく読み違いをしているのかもしれないけど、でも読んでる本人からしたら、楽しんでストーリーを追っているわけで、すっかり理解しているつもり。多読を初めたばかりのころはわからない単語、文、と意識して飛ばしていたけど、いまはどこを理解して、どこを飛ばしているのかさっぱり分からない。よっぽど印象的な難しい言葉は別だけど。上にも書いたけど、単語ごとに意味をとって(訳すという意味ではない)、それをつなげて文を理解する的な方法をとってたら、分かるものも分からないようになりますよー、絶対に。
(でも受験の時はそれが英文理解のすべてであるかのように教えられたなあ。恐ろしいです)
というわけで、乱文ご容赦ください。
つぎのテーマ「辞書とはなに?」・・・体力がつきたので次回となりました・・・
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